スマホ依存症なんてものは存在しねえ
「スマホがないと生きていけない」
「近頃の若者は一日中スマホばかり見ている」
「スマホはもはや俺の臓器」
スマホ依存というワードは社会問題として広く一般に取り上げられるワードになってきました。
私自身、暇な時間があれば基本的にスマホを利用していますし、周りの人たちを見てもその傾向が強いです。
しかし、それの何がいけないのでしょう。
というか、
人類がスマホを手にしたその瞬間からこうなってしまうことは防ぎようがなかったはずです。いわば必然。
確かにスマホを使いすぎることによって、ドライアイになったり、手が変形してしまったり、猫背になるなど人体に負担がかかるリスクはあります。
ですが少なくとも、「近頃の若者はスマホばっかり」という論説に関しては容易に論破できます。
なぜならば
そもそも「スマホを見る」「スマホをする」という言葉自体に重大な欠陥があるのです。
私たちはスマホで、電話をし、メールをし、ラインをし、Twitterをし、写真を撮り、メモを取り、時間を確認し、ゲームをし、漫画を読み、テレビを見て、調べ物をしているのです。
これだけのことをしているのになぜひとくくりに「スマホをしている」と言えるのでしょうか。
あまりにも大雑把すぎます。
これをスマホがなかった時代の若者に当てはめると、
「近頃の若者はいつも電話か文通か写真撮影かメモを取るか時計を見るかゲームをするか漫画を読むかテレビを見るか何か調べ物をしているなあ」
となります。
いや、そりゃ何かしらには当てはまるだろ。
加えて言いたいことがあるのですが、
様々なタスクを一つに集約させることによって、それぞれのことをするのにかかる手間や時間が格段に減りました。
つまりスマホ普及以前に比べてできることの多様性はむしろ格段に高まっています。
「スマホばっかり」なんてとんでもない。
「多様性」に関する意見はもう一つあって、
「最近の若者は酒もたばこも女もあまりやらなくなった。俺たちのころなんて…」
こういったセリフもよく聞きます。
もう言われなくてもわかると思いますがこれは当然、やれることが昔より多くなったから酒たばこ女以外に楽しみを見出すことが容易になったにすぎません。
話を戻します。
このように私たちはもうスマホの呪縛からは逃れられません。
それでもスマホ依存が気になる、何とかしたい、と思う人がいれば、
それはたまたまあなたのやりたいことがすべてスマホでできてしまっているに過ぎません。
なのでスマホでできないことを何か始めてみてはいかがでしょうか。